デイヴィッド・ニュージェントがプレストンに描く過去と未来
デイヴィッド・ニュージェント…
彼はイングランドをかけてプレーする…
かの有名なプレストン・ノースエンドを代表して…
アンドラ戦で…
彼はスコアラーとなった…
そして今夜またゴールを決めるんだ、ニュージェント!
2006年5月5日、エランド・ロード。プレミアリーグ昇格をかけたプレイオフの準決勝、ファーストレグ。先制点を決めたアウェイチームの歓喜の輪の中心にいたのは、デイヴィッド・ニュージェントだった。
2019年10月5日、ディープデイル。リーグ戦第11節。ゴールを祝福する若手選手の側にいつもいたのは、デイヴィッド・ニュージェントだった。
プレースタイルは、「あの頃」とは何もかもが変わっていた。
リーズ守備陣を蹂躙したあのスピードはもうない。あの突破力はもうない。
しかし代わりに得たものがあった。
「経験」である。
最前線から味方を生かせる。ゲームをコントロールできる。そんな老獪なフォワードにあのニュージは成長したのだ。
2005年1月。19歳の無名の青年が、当時4部のベリーから、プレストン・ノースエンドに加入した。その名は、デイヴィッド・ニュージェントである。
この青年はプレストンという町中にその名を轟かすことになる。
加入して間も無く、この青年は瞬く間にプレストンの主力選手となる。
中盤まで中位を彷徨っていたクラブが、プレイオフに進出した。
プレイオフ準決勝ファーストレグ、ダービー・カウンティ戦。奇しくも後に所属することになるクラブ相手に、先制点を決める。そのまま決勝に進出した。
しかし…ウェストハムに敗れ、惜しくも涙を呑んだ。スコアラーはあのボビー・ザモラだった。
迎えた翌シーズン。クラブは当時のFWの大黒柱、リチャード・クレスウェルをリーズへ放出する。更にニュージに背番号10を与える。当時20歳の彼にはますますエースとしての重責がのしかかった。
ニュージの成績は一見及第点ではあったが、大いに満足できるものではなかった。何ヶ月も無得点になることもあった。負傷にも苦しんだ。チームは負けなかったものの、引き分けが続いた。エースとしての働きを十二分に果たせたとは言い難いものだった。
ニュージはラスト9戦をほぼ欠場。その間チームは快進撃を見せ、プレイオフ圏内を確保した。ニュージも最終戦で復帰した。
そして前述のリーズ戦。あの細かいタッチのドリブルで相手を何人も抜き去り、自らネットに沈めた。10年後も、クラブの人々の心の中に残り続けるゴールだった。
しかし…最終的にはリーズに完敗。またもプレイオフ敗退。
迎えた翌シーズン。マネージャーのビリー・デイヴィスがダービー・カウンティへ。
そんな状況とは裏腹にチームは連勝を重ね、中盤戦には首位に立った。しかし…それ以降勝ちと負けを繰り返すような戦いぶり。そんな中でもニュージはゴールを量産した。さらに恐ろしいフォワードになっていた。
そして2007年、3月。負傷したダレン・ベントの代わりにイングランド代表に招集されたのは─────────デイヴィッド・ニュージェントだった。
2007年3月28日。エスタディ・オリンピック・.リュイス・コンパニス。EURO2008予選、アンドラ代表vイングランド代表。ニュージはアンディ・ジョンソンと交代で後半34分からピッチに立った。
後半、アディショナルタイムに突入して1分。ジャーメイン・デフォーが裏に抜けてシュート。キーパーがセーブを試みるも失敗。ボールはゴールへ転がっていく。そこにライン際で詰めたのは…デイヴィッド・ニュージェント!
プレストン・ノースエンドの選手がイングランド代表でプレーするのは、1959年、かのクラブのレジェンド、サー・トム・フィニー以来だった。ゴールも同じである。ニュージは、ノースエンドサポーターの心に何十年と刻まれていくような存在となった。
プレストンは、最終盤でプレイオフ圏内から転落。最終節勝利したものの、プレイオフ圏内には届かなかった。
2007年7月。デイヴィッド・ニュージェントは、ポーツマスFCへ移籍した。その移籍金は£6.00m。プレストンが受け取る移籍金の額としては、歴代最高であった。
そこからニュージは酸いも甘いも味わった。ポーツマスでは苦しんだ。加入初年度はまさかのリーグ戦無得点。プレミアリーグでは活躍できなかった。
2011年にレスター・シティへ移籍。ゴールを量産し、プレミアリーグへ導き、プレミアリーグ初年度の残留にも貢献した。あの「奇跡のレスター」の基盤を作ったのは彼なのだ。
ノースエンドは激動の時を過ごしていた。10/11シーズンにはリーグ1に降格。そこから2年、そこですら下位に沈んでいた。
サイモン・グレイソンの就任を機に、クラブは再浮上を始めた。そして14/15シーズン、ついにチャンピオンシップへの復帰を果たす。チャンピオンシップにも定着に成功し、グレイソンは引き抜かれるものの、後任のアレックス・ニールはクラブを更に強化、17/18シーズンはプレイオフまであと一歩のところまで迫った。気付けばチャンピオンシップ5年目、狙いは完全にプレミアリーグであった。
クラブが求めていたのは、「経験のある」フォワードであった。フィールドでコンスタントにプレーするベテランプレイヤーはポール・ギャラガーしかおらず、若い選手の中、精神的に支えられる選手が必要だった。
ニュージはダービー・カウンティを契約満了で退団し、フリーの身であった。新たなクラブを探していた。
時は2019年7月13日。AFCフィルドvプレストン・ノースエンドの親善試合。プレストンのクラブ関係者、更にはポール・ギャラガーと話すニュージをカメラが捉えた。ファンは沸き立った。ディープデイルに帰ってくる。
数週間後、正式発表。クラブ公式ツイッターは数々の記憶に残るゴールを組み込んだ、加入発表ビデオを投稿した。いいねは2000件を超えた。彼が、ディープデイルに、帰ってくるのだ。昔からのファンは大歓迎した。一方懐疑的な意見もあった。給料が高すぎる、と。
負傷で出遅れた。デビューはディープデイル、カラバオカップでのマンシティ戦であった。積極的にトライした。彼自身のプレーは間違いなく意欲に溢れたものだった。
第11節。ディープデイル。バーンズリー戦。ニュージはその懐疑論を跳ね返す、卓越したパフォーマンスを見せた。絶好のチャンスは逸したものの、何度も起点となった。味方のゴールを演出した。長年の経験を得たからこそできたこと。以前のニュージにはないものだった。
ニュージにはまだ達成できていない目標がある。
「復帰できて嬉しい。私が去ってから長く経ったが、私たちは2度昇格に近づいていて、そして私が戻ってきて、うまくいけば3度目のラッキーとなって、トライし、そしてこのクラブをプレミアリーグへ押し上げられるだろう。」
「私は34歳だが、まだ足は十分に走れる状態にある。監督に選ばれた際には、自分の実力を証明しなければならない。私はただ誰かに取って代わるためだけにここに来たのではなく、チームの一員となって、チームが達成したいことを達成するのを助けるために来たのである。」
「プレミアリーグに到達したがっている若い集団だ。うまくいけばポール・ギャラガー、私自身、そして他のベテランの選手たちが同様に、それに向けて若い選手を助けられるだろう。」
ニュージは、このクラブの歴史にまた新たな1ページを刻もうとしているのである。
デイヴィッド・ニュージェント…
彼はイングランドをかけてプレーする…
かの有名なプレストン・ノースエンドを代表して…
アンドラ戦で…
彼はスコアラーとなった…
そして今夜またゴールを決めるんだ、ニュージェント!